更新通知に「家賃8.2万→8.7万円」——30歳単身・中野区1Kの西田さん(仮名)が、受け入れ・交渉・引越しの3択を24ヶ月の支出で並べると、引越しは17ヶ月目に逆転して2年で10.4万円得。それでも交渉を選んだのは、通勤10分の時給換算が30万円だったから【ケーススタディ】
東京都中野区の1K(25㎡)に住む西田さん(仮名・30歳・経理職・年収460万円・単身)に、2027年1月末の契約満了を前に家賃5,000円の値上げ通知が届いた。値上げを受け入れると2年で234.4万円、交渉で+2,000円に抑えると226.9万円、家賃7.6万円の物件へ1月に引越すと初期費用33.4万円を含めて224.0万円。引越しは受け入れより17ヶ月目、交渉より22ヶ月目に安くなるが、片道10分延びる通勤を手取り時給1,875円で換算すると2年で30万円。借地借家法32条の賃料増額請求の仕組み、大家側の空室コスト、退去費用を比較に入れない理由まで、実数で追った。
> 賃料改定のお知らせ
> 拝啓 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
> さて、昨今の物価上昇および近隣相場の動向を踏まえ、次回契約更新(2027年2月1日)より、賃料を下記のとおり改定させていただきたく……
> 現行賃料 82,000円 → 改定後賃料 87,000円(管理費5,000円は据え置き)
9月の終わり、西田航さん(仮名・30歳)のポストに管理会社からこの封書が届いた。同封の更新案内には、更新料「新賃料の1ヶ月分」87,000円、更新事務手数料11,000円、火災保険の更新18,000円の振込案内も入っていた。
「5年住んで、滞納もしていないのに6%の値上げ。この際引っ越したほうが得なのか、払うしかないのか、それとも交渉できるのか」
契約満了は2027年1月31日。解約するなら1ヶ月前の12月末までに通知が必要で、引越し先を探すなら11月には動き出したい。残された時間は約3ヶ月だ。西田さんと一緒に、3つの選択肢を2年間の支出で並べた。
西田さんの前提
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 年齢・仕事 | 30歳・中堅メーカーの経理(正社員)、年収460万円(手取り約360万円) |
| 家族 | 単身 |
| 住まい | 東京都中野区の1K(25㎡)、RC造・築16年、駅徒歩6分 |
| 入居 | 2021年2月(今回が3回目の更新) |
| 家賃 | 82,000円+管理費5,000円、敷金1ヶ月(82,000円預け入れ済み) |
| 保証会社 | 年1回10,000円の継続保証料 |
| 通勤 | 新宿の勤務先までドアtoドア30分、定期代は会社負担 |
| 貯蓄 | 約280万円(引越しの初期費用は払える) |
手取りの約360万円は、令和8年分の所得税(基礎控除104万円・給与所得控除136万円)と社会保険料約68万円、住民税約22万円を差し引いた概算だ。
3つの選択肢
- A:値上げをそのまま受け入れて更新(家賃87,000円)
- B:交渉して値上げ幅を抑えて更新(結果的に84,000円で合意。経緯は後述)
- C:1月中に引越す(同じ沿線で2駅先、駅徒歩14分・築22年の1K・26㎡、家賃76,000円+管理費3,000円)
Cの物件は、11月の閑散期に入る前にポータルサイトで条件を絞って見つけた候補だ。家賃は1.1万円下がるが、駅から遠くなり、建物も古くなる。
最初に確認したこと:値上げ額は相場から外れているか
西田さんがまずやったのは、同じ駅・徒歩10分以内・築10〜20年・1K 23〜27㎡で募集中の物件を15件ほど拾うことだった。結果は家賃8.4万〜8.9万円(管理費別)。値上げ後の8.7万円は相場の範囲内で、「不当に高いから払わない」と言える状況ではなかった。
ここは法律の仕組みを知っておくと判断しやすい。
| 根拠 | 内容 | 西田さんへの意味 |
|---|---|---|
| 借地借家法32条1項 | 税金・経済事情の変動や近隣相場と比べて家賃が不相当になったとき、貸主も借主も増額・減額を請求できる | 相場が上がっていれば、大家の増額請求には法的な根拠がある |
| 借地借家法32条2項 | 協議がまとまらない間、借主は自分が相当と思う額(通常は従来額)を払えばよい。ただし後で裁判で増額が確定したら、差額に年1割の利息を付けて払う | 合意しなくても即退去にはならない。ただし相場どおりなら後で差額+利息を払うリスクがある |
| 借地借家法26条 | 更新の合意ができなくても、期間満了で従前と同じ条件で更新されたものとみなす(法定更新) | 「サインしない」だけで契約が切れることはない |
| 民事調停法24条の2 | 賃料増減の争いは、裁判の前にまず調停を申し立てる | 争うなら調停から。時間と手間がかかる |
つまり値上げに合意しない自由はあるが、相場の範囲内の値上げを突っぱね続けるのは分が悪い。西田さんは「全額拒否」ではなく「幅の交渉」と「引越し」を天秤にかけることにした。
なお、2年ごとの更新料そのものについては、最高裁平成23年7月15日判決が「更新料の額が高額すぎるなどの特段の事情がなければ有効」と判断している。契約書に「新賃料の1ヶ月分」とある以上、更新料の支払い自体は避けられない。
Cの初期費用:33.4万円の内訳
引越しの初期費用は賃貸初期費用シミュレーターの項目に沿って積み上げた。
| 費用項目 | 計算 | 金額 |
|---|---|---|
| 礼金 | 家賃1ヶ月 | 76,000円 |
| 仲介手数料 | 家賃1ヶ月+消費税 | 83,600円 |
| 保証会社 初回保証料 | 家賃+管理費の50% | 39,500円 |
| 鍵交換 | 定額 | 16,500円 |
| 火災保険(2年) | 定額 | 18,000円 |
| 引越し業者(単身・近距離・1月平日) | 見積もり | 45,000円 |
| 二重家賃 | 新居1月16〜31日の日割り 79,000円×16/31 | 40,774円 |
| 雑費(カーテン買い替え・粗大ごみ) | 実費見込み | 15,000円 |
| 合計 | 334,374円 |
敷金76,000円も預けるが、退去時に精算されて戻ってくるお金なので「費用」には入れていない。同じ理由で、今の部屋の退去費用(ハウスクリーニング特約33,000円など)も比較から外した。AやBを選んでも、いつか退去するときに同じ額を払うからだ。引越しで増えるのは「払う時期が早まること」だけで、2年比較の上では差にならない。退去費用の目安自体は退去費用シミュレーターで確認できる。
引越し代は1月に動けたことが大きい。同じ単身・近距離でも、2月後半〜3月の繁忙期は見積もりが1.5〜2倍になりやすい。更新月が2月の人ほど、「満了ぎりぎりに引越す」より「1月に前倒しする」ほうが安く済む。
24ヶ月の累計支出
各選択肢の毎月の支出と一時金を、2027年2月を1ヶ月目として積み上げた。
| A:受け入れ | B:交渉(8.4万円) | C:引越し | |
|---|---|---|---|
| 月額(家賃+管理費) | 92,000円 | 89,000円 | 79,000円 |
| 最初の一時金 | 116,000円(更新料87,000+事務手数料11,000+火災保険18,000) | 113,000円(更新料84,000+11,000+18,000) | 334,374円(上表) |
| 保証会社の継続料(2年内) | 20,000円(1・13ヶ月目) | 20,000円 | 10,000円(13ヶ月目) |
| 24ヶ月合計 | 2,344,000円 | 2,269,000円 | 2,240,374円 |
途中経過を見ると、引越しの「出遅れ」がどう縮むかが分かる。
| 経過 | A累計 | B累計 | C累計 | C − A | C − B |
|---|---|---|---|---|---|
| 1ヶ月目 | 218,000円 | 212,000円 | 413,374円 | +195,374円 | +201,374円 |
| 6ヶ月目 | 678,000円 | 657,000円 | 808,374円 | +130,374円 | +151,374円 |
| 12ヶ月目 | 1,230,000円 | 1,191,000円 | 1,282,374円 | +52,374円 | +91,374円 |
| 16ヶ月目 | 1,608,000円 | 1,557,000円 | 1,608,374円 | +374円 | +51,374円 |
| 17ヶ月目 | 1,700,000円 | 1,646,000円 | 1,687,374円 | −12,626円 | +41,374円 |
| 22ヶ月目 | 2,160,000円 | 2,091,000円 | 2,082,374円 | −77,626円 | −8,626円 |
| 24ヶ月目 | 2,344,000円 | 2,269,000円 | 2,240,374円 | −103,626円 | −28,626円 |
逆転のタイミングは、簡単な式でも出せる。
> 損益分岐の月数 =(Cの一時金 − 更新側の一時金)÷ 月額の差
> 対A:(334,374 − 126,000)÷ 13,000円 ≒ 16.0ヶ月 → 17ヶ月目に逆転
> 対B:(334,374 − 123,000)÷ 10,000円 ≒ 21.1ヶ月 → 22ヶ月目に逆転
(更新側の一時金には1ヶ月目の保証会社継続料10,000円を含めている。13ヶ月目の継続料はA・B・Cとも10,000円ずつで相殺される)
家賃が据え置きのまま4年住むと、2回目の更新(Cは初回更新)を含めてCはAより約42.7万円、Bより約27.7万円少なくなる。長く住むつもりなら、お金の面だけでは引越しが最も有利だ。更新と引越しの損益分岐は賃貸更新料シミュレーターでも、家賃と居住年数を変えて確かめられる。
表に出てこないコスト:通勤10分
Cの物件で増えるのは、片道10分の通勤時間だ(駅まで徒歩8分増、乗車2分増)。
> 10分 × 往復2回 × 月20日 × 24ヶ月 = 160時間
西田さんの手取り時給は、手取り約360万円÷年間労働1,920時間(8時間×240日)=1,875円。160時間を掛けると30万円になる。
| 比較 | お金の差(2年) | 通勤時間の換算(2年) | 差し引き |
|---|---|---|---|
| C vs A | Cが10.4万円得 | Cが30万円分損 | Cが約19.6万円分不利 |
| C vs B | Cが2.9万円得 | Cが30万円分損 | Cが約27.1万円分不利 |
もちろん、通勤時間をすべて「失った時給」とみなす必要はない。電車で本を読めるなら価値は下がる。ただ西田さんの場合、増えるのは主に徒歩の8分で、雨の日も冬の朝も歩く時間だった。「通勤が延びる分、家賃1.1万円の差は帳消しどころか足りない」というのが本人の実感だった。通勤時間と家賃の交換条件は通勤時間vs引越しシミュレーターで一般化して確認できる。
交渉はなぜ通ったのか:大家側の計算
Bの「8.4万円で合意」は運ではない。大家側から見ると、西田さんに出ていかれるコストは小さくないからだ。
| 西田さんが退去した場合の大家の負担 | 目安 |
|---|---|
| 空室期間(1〜2ヶ月、中央値1.5ヶ月) | 87,000円×1.5 = 130,500円 |
| 客付けの広告料(AD、家賃1ヶ月分) | 87,000円 |
| 原状回復のうち貸主負担分(通常損耗) | 数万円 |
| 合計 | 約22万円以上 |
一方、値上げ幅を5,000円から2,000円に譲ると、大家の減収は3,000円×24ヶ月+更新料差3,000円=75,000円。退去リスクの22万円と比べれば、譲るほうが合理的になる。
西田さんが管理会社に送ったメールは、次のような短いものだった。
> 「5年間滞納なく入居しており、今後も長く住みたいと考えています。周辺の同条件の募集賃料を確認したところ8.4万〜8.9万円でした。現在、更新と並行して転居も検討しています。改定額を84,000円としていただけるのであれば、更新手続きを進めたいと思います」
ポイントは3つ。相場を調べた数字を示す、入居実績を伝える、そして転居の選択肢が本当にあることを示す。Cの物件を実際に内見していたことが、この一文の説得力を支えた。2週間後、管理会社から「オーナー了承、84,000円で更新」と返事が来た。交渉額ごとの効果は家賃交渉シミュレーターで試算できる。
3択の最終比較
| 項目 | A:受け入れ | B:交渉 | C:引越し |
|---|---|---|---|
| 2年の支出 | 234.4万円 | 226.9万円 | 224.0万円 |
| 4年の支出(家賃据え置き) | 468.8万円 | 453.8万円 | 426.1万円 |
| 最初の一時金 | 11.6万円 | 11.3万円 | 33.4万円 |
| 通勤時間 | 30分 | 30分 | 40分 |
| 建物 | 築16年・駅6分 | 同左 | 築22年・駅14分 |
| 手間 | ほぼなし | メール1通+2週間 | 内見・契約・荷造り・住所変更 |
| 西田さんの判断 | — | 採用 | 交渉が決裂したら実行 |
値上げを丸のみした場合と比べ、交渉で浮いたのは2年で7.5万円。手取り時給1,875円で割ると40時間分に当たり、相場調べ・内見・メールにかけた時間(合計約6時間)を大きく上回った。
よくある質問
Q. この計算の前提データはどこから?
家賃・管理費・初期費用は、2026年秋に首都圏の賃貸ポータルサイトで募集されていた同条件の物件の典型的な水準を使った仮想ケース。法律の条文は借地借家法26条・32条、民事調停法24条の2、更新料の有効性は最高裁平成23年7月15日判決、退去費用の考え方は国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」による。手取りは令和8年分の所得税(令和8年度税制改正後の基礎控除・給与所得控除)と協会けんぽ・厚生年金の料率で概算した。
Q. 値上げに合意しないまま住み続けたらどうなる?
借地借家法26条により、従来と同じ条件で法定更新される。家賃も従来額を払い続ければよい。ただし大家が調停・裁判で増額を求め、相場に照らして増額が認められると、差額に年1割の利息を付けて払うことになる。相場どおりの値上げを拒み続けるのは、得よりリスクのほうが大きい。
Q. 敷金も新しい家賃に合わせて追加で払う必要がある?
契約書次第だ。「敷金は賃料の1ヶ月分」と書かれている物件では、値上げに合わせて差額の預け入れを求められることがある。西田さんの契約は金額固定(82,000円)だったため追加はなかった。
Q. 数字が実感と合わない場合は?
最も結果を動かすのは、引越し先との家賃差と住む予定の年数だ。家賃差が月5,000円しかなければ、Cの一時金は4年近く回収できない。逆に家賃差が2万円あれば1年弱で逆転する。保証会社や火災保険の金額も物件ごとに違うので、手元の更新案内と募集図面の数字で置き換えてほしい。前提に違和感があればお問い合わせから知らせてほしい。
更新通知が届いたら、自分に聞いてみること
西田さんのケースで答えを分けたのは、計算そのものより、次の4つの問いへの答えだった。
- 値上げ後の家賃は、同じ駅・同じ条件の募集賃料と比べて高いか、相場内か。
- この部屋に、あと何年住むつもりか。 2年以内なら引越しの一時金は回収しきれないことが多い。
- 引越し先で増える通勤時間を、自分はいくらと見積もるか。
- 「引っ越してもいい」と本気で言える候補物件を、交渉の前に1つ持っているか。
あなたの更新月はいつで、最後に周辺の募集賃料を確かめたのはいつだろうか。通知が届いてから考え始めると、残された時間は2〜3ヶ月しかない。