「まだ乗れる」——76歳の父の免許返納、家計で検算したら答えは『今すぐ』でも『まだ先』でもなかった【ケーススタディ】
群馬県郊外に住む76歳の父の軽自動車は13年目。維持費は年16.0万円、返納後の代替交通費は年17.6万円で、実は返納のほうが年1.6万円高くつく——ところが「次の買い替え」を計算に入れると差は年11万円に逆転する。東京在住の48歳長男が実家で電卓を叩いた、免許返納の損得の全記録。
「まだ乗れる。俺は事故なんか起こしたことがない」
7月の三連休に群馬県の実家へ帰省した柳沢さん(仮名・48歳、東京都在住の会社員)が免許返納の話を切り出したとき、76歳の父はそう言って新聞に目を戻した。たしかに父は無事故だ。ただ、車庫に停まった13年目の軽ワゴンの左側には、覚えのない擦り傷が3本増えていた。
感情で押しても話は進まない。柳沢さんはその晩、父の車の維持費と、返納した場合の交通費を全部書き出して電卓を叩いた。結果は意外なもので、そして最終的な結論は「今すぐ返納」でも「まだ乗る」でもなかった。
柳沢家のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 父 | 76歳・年金生活(厚生年金 月約15万円) |
| 母 | 73歳・年金生活(国民年金 月約6万円) |
| 住まい | 群馬県郊外の持ち家。最寄りスーパーまで約2km、総合病院まで約4km |
| 車 | 13年目の軽ワゴン(走行約9万km)。駐車場は敷地内で無料 |
| 長男 | 48歳・東京都在住。帰省は年3〜4回 |
| 車の用途 | 母を乗せた買い物が週2回、父母それぞれの通院が月2回、月間走行約300km |
地方の郊外という条件がポイントになる。駐車場代はゼロ、電車は実質使えず、路線バスは1日数本。「車がないと生活できない」と父が言うのは、感情論ではなく事実に近い。
検算①:13年目の軽を維持する費用は年16.0万円
まず現状のコスト。車両は買って13年たっているので購入費は考えず、「持ち続けるだけでかかるお金」を年額に直した。
| 費目 | 年額 | 備考 |
|---|---|---|
| 軽自動車税 | 12,900円 | 初度検査から13年超は重課(通常10,800円) |
| 車検 | 35,000円 | 2年で7万円(自賠責・整備費込み)を年割り |
| 任意保険 | 60,000円 | 高齢ドライバーは料率が上がり、更新のたびに増額中 |
| ガソリン | 32,000円 | 月300km ÷ 燃費18km/L × 160円/L ≒ 月2,667円 |
| オイル・タイヤ等の消耗品 | 20,000円 | 冬タイヤの履き替え含む |
| 合計 | 159,900円 | 月あたり約13,300円 |
年16.0万円。内訳を見ると、走らなくてもかかる固定費(税金・車検・保険)が10.8万円と3分の2を占める。「あまり乗らなくなったから安く済んでいる」は成り立たない構造だ。この固定費と走行コストの構造はタクシー vs マイカーのシミュレーターで条件を変えて確かめられる。
ちなみに75歳以上は免許更新時に認知機能検査(手数料1,050円)と高齢者講習(6,450円)も必要になるが、3年に1度なので年額では誤差の範囲だった。
検算②:返納後の交通費は年17.6万円——実は「返納のほうが高い」
次に、免許を返納した場合に同じ生活を維持する費用を組み立てた。前提は「母の生活の質を落とさない」こと。
- 通院タクシー: 総合病院まで片道4km・約1,500円。往復3,000円 × 月2回 = 月6,000円
- 買い物タクシー: スーパーまで片道2km・約900円。往復1,800円 × 週1回 = 月7,200円(車のときの週2回から、宅配併用で週1回に減らす)
- 生協の個別宅配: 手数料220円 × 週1回 = 月880円(商品代はもともとの食費なので除外)
- コミュニティバス: 1乗車200円 × 月8回 = 月1,600円
合計すると月15,680円、年188,160円。市の返納者支援でタクシー利用券が年12,000円分交付されるため、実質は年約17.6万円になる。
つまり現状維持の16.0万円に対し、返納すると年1.6万円の持ち出し増。柳沢さんが一番驚いたのはここだった。「返納すれば維持費が浮く」という単純な話は、駐車場代がかからない地方の実家では成り立たない。父が「車のほうが安い」と言うのは、金額だけ見れば正しかったのだ。
検算③:ただし「次の買い替え」を入れると逆転する
では返納に経済的な合理性はないのか。ここで効いてくるのが車の年式だ。13年・9万km走った軽ワゴンは、次の車検(来年3月)は通せても、その次は現実的ではない。乗り続けるなら数年内に買い替えが来る。
中古の軽自動車を諸費用込み90万円で購入し7年乗るとすると、
900,000円 ÷ 7年 = 約12.9万円/年
これが維持費に上乗せされる。つまり、
- 車を持ち続ける本当のコスト: 16.0万円 + 12.9万円 = 年28.9万円
- 返納後の交通費: 年17.6万円
差は年11.3万円。購入費まで含めた「車の生涯コスト」で考えると、返納側がはっきり安くなる。この「購入費を保有年数で割って維持費に足す」考え方は車の生涯コスト計算と同じ構造だ。逆に言えば、いま買い替えた直後なら返納の経済合理性は薄い——タイミングの問題でもある。
お金以外の変数:事故リスクと保険料
もうひとつ、表に載らないコストがある。警察庁「令和5年における交通死亡事故の発生状況」によると、免許人口10万人あたりの死亡事故件数は、75歳以上が75歳未満の約2倍。統計を反映して自動車保険の保険料も高齢になるほど上がっていき、柳沢家でも年6万円と家計の重荷になっていた。事故を起こした場合の賠償・買い替え・家族の心理的負担は、年11.3万円の差額よりはるかに大きい。
なお、警察庁の運転免許統計では75歳以上の自主返納は年間25万件前後。返納後に運転経歴証明書(交付手数料1,100円)を取れば、身分証として使えるうえ、バス・タクシー割引など自治体特典の窓口にもなる。
条件が変わると答えも変わる——都市部なら計算はもっと単純
柳沢家の検算は「駐車場代ゼロの地方の実家」という前提に立っている。もしこれが月1万円の駐車場を借りる都市郊外なら、維持費は年12万円上乗せされて28万円になり、買い替えを待つまでもなく返納側が年10万円以上安い。逆に、雪国で冬の移動手段が車しかない地域なら、タクシーの待機や運休リスクという金額にならないコストが乗ってくる。免許返納の損得に全国共通の答えはなく、「自分の実家の条件」で電卓を叩くしかない。
もうひとつ、柳沢さんが調べていて手を止めた研究がある。筑波大学の研究チームの調査では、運転をやめた高齢者は運転を続けた人に比べて要介護リスクが約2倍になったと報告されている(公共交通や自転車に切り替えた人ではリスク上昇が緩和される)。返納で外出が減れば、浮いたお金より大きい介護費用が待っている可能性があるということだ。だからこそ柳沢家は「返納するかどうか」と同じ熱量で、「返納後も母と週1回買い物に出る仕組み」——タクシーとコミュニティバスの練習期間——を設計した。
結論:「次の車検まで」と期限を切った
柳沢家の結論はこうだ。
- 来年3月の車検は通さず、そこで返納する。買い替えはしない(年28.9万円コースを回避)
- それまでの8か月で、生協の宅配とコミュニティバスを父母が使い慣れる練習期間にする
- 車検費用の比較で見積もりを取るのはやめ、代わりにタクシー会社の電話番号と配車アプリを母のスマホに登録した
- 自動車税の納付は今年度分で最後になる見込み
「今すぐ取り上げる」のではなく、買い替えという大きな出費の直前に期限を置く。父も「次の車検までなら」と初めてうなずいた。数字の力というより、「あと8か月は乗れる」という猶予が効いたのかもしれない。
あなたの実家の車は、いま何年目だろうか。維持費だけならトントンでも、次の買い替えを足した瞬間に答えが変わる——柳沢家の検算は、たぶん多くの実家に当てはまる。